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患者会立上の理由

自分自身が円形脱毛症を発症したのは1999年の6月ごろでした。

もちろんその時はこの病気の名前すら知りませんでした。

何気なく、右後頭部の髪が抜けるナァ~っと感じていたのが最初でした。

それから抜け毛の異常さに気付きだすまでそう時間はかかりませんでした。

その頃はもうすでに場所の特定は出来ませんでした。

どこもかしこも!いくらでも髪は抜けます。バラバラと・・・

甲状腺疾患で髪が抜けるというのは、自分が甲状腺機能低下症でしたので知識としては知っていました。

それで、甲状腺の専門病院に駆けつけました。

しかし、そこで言われたのは、「円形脱毛症」という言葉でした。えっ!?何??円形じゃないだろ!

とにかくバラバラに何処もかしこもじゃないか!っと思いました。

幸いその病院の先生が、順天堂医院の脱毛外来という専門病院を調べてくれて、すぐに行くことが出来ました。

自分が発症するまでこんな病気は全く知りませんでした。

皮膚科の疾患ということさえ知りませんでした。

それからも、髪は抜け続けます。髪だけではなく、眉毛も睫毛も・・鼻毛さえも薄くなりました。

みるみる容貌が変化していきます。その時の空虚な精神状態はどう表現していいかわかりません。

そして、精神的に参ってきました。人と接するのがツライ・・外部とのコミュニケーションが途絶えました。

こんな中年オヤジでも参るんだから、子供・学生・若い世代や女性などは・・・

そんなころ、ネットに出会いました。

やけくそで、とことんこいつ(円形脱毛症)と付き合ってやろう!っと、サイト『円形脱毛症なんかに負けない!』を作成しました。

こんなサイトでも、だんだん多くの人が訪れるようになり、「円形脱毛症」で苦しんでいる人はこんなに沢山いるのか!っと驚いていました。

その過程で男女問わず、幼い子から70代くらいの方までの患者本人と

その人達をとりまく家族・恋人・友人などの苦しみ・辛さ・悲しみ・絶望・怒り・・・。いろいろなケースを知りました。

そして普通なら、出会うはずの無い沢山の人達との交流も生まれました。

フジテレビから番組の企画が舞い込んで、放映されたりして、

少しでも「円形脱毛症」を認知してもらえたかなと喜んだ時期もありました。

サイトを作ってから7年半経ちました。その間、自分自身は幸いにも治り、今のところ再発もありません。

しかし、「円形脱毛症」という病気は消えるはずもありません。

実際にどの位の患者がいるのかわかりませんが、ネットが普及していく過程で、

益々この病魔に侵される人の数はネットの中では増え続けています。

ただ一つ言える事は、皆同じ苦しみをもっているという事です。

当然、家族と周りの人達などを含めたらその数倍の人がなんらかの苦しみに耐えていると思います。

「円形脱毛症」というネーミングのせいか単なる10円ハゲ!

命に別状ないしストレス発散すればすぐ良くなる!(自分は名前すら知りませんでした)

そんな感覚で捉えられてるようです。

テレビ・雑誌などで髪のコマーシャルを見ない日はありません。

ファッションにヘアスタイルは欠かせません。

ヘアスタイルが気に入らなければ一日が不快になる人もいます。

これらは髪があるのが前提なのです。

社会では当たり前のことなのです。まして女性ではなおさらです。

この当たり前のことが突然奪われることの意味を理解する人はあまりいません。

ようするに社会に認知されていない現実です。

「円形脱毛症」は人の心を蝕む疾患という理解があまりにも無さ過ぎると思います。

医療機関・教育機関でさえもです。

これらの不勉強さによる辛い話も多く耳にしました。

だからと言ってこのままにしておくのはこれらの現実に背を向け続けるという事ではないでしょうか?

個人サイトの『円形脱毛症なんかに負けない!』を立ち上げてから約7年半(2007年・夏 時点)の間にも、

ネットの普及でオフ会などが行われやすい環境が増えて来たと言う実感はあります。

しかしその間だけでも同じことの繰り返し、

発症してまた同じようなことで心が痛めつけられていく人が増え続けている現状も痛感しています。

だんだんモヤモヤがつのってきました。もうそろそろいいんじゃないのか?

そんな折、妻が現在の担当医でもある植木医師に相談したところ快く対応して下さいました。

ビックリ仰天~~!!もう、やるっきゃないでしょう!!

QOL(=生活の質)の向上がいろいろ叫ばれています。

それを少しでも得るには、とても勇気のいることですが、

日頃の思い、経験などを社会に語りかけて行く時期に来ていると思います。